孤独の発明

孤独な状況を打開するのは勇気と質問

内閣官房孤独・孤立対策担当室が行った「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査(令和4年実施)」を見てみると、令和3年から令和4年にかけて、孤独を感じている人が増加していることがわかります。

直接質問の結果、孤独感が「しばしばある・常にある」と回答した人の割合は4.9%、「時々ある」が15.8%、「たまにある」が19.6%であった。
一方で孤独感が「ほとんどない」と回答した人は40.6%、「決してない」が18.4%であった。
令和3年調査と比較すると、孤独感が「時々ある」、「たまにある」及び「ほとんどない」の割合が拡大し、「決してない」の割合が縮小。

孤独の状況(直接質問)-令和4年、令和3年
令和4年令和3年
しばしばある・常にある4.9%4.5%
時々ある15.8%14.5%
たまにある19.6%17.4%
ほとんどない40.6%38.9%
決してない18.4%23.7%
無回答0.6%0.9%

このデータの調査対象は「全国の満16歳以上の個人」となっています。

私は人生の中で、もっとも強烈な孤独を感じたのが15歳の春です。
ですから、このデータは15歳を調査対象に含めると「しばしばある・常にある」のパーセンテージがもっと大きくなるのではないかと思えてなりません。

今回は、私自身が高校に入学して間もない時期に起こった、孤独にまつわる出来事を中心に書いていきます。

孤独には種類がある

孤独の研究』という書籍に、孤独にはさまざまな種類があると記されています。

創造の源としての孤独、悪魔がつけ入る孤独、修行としての孤独、人を退屈と倦怠で苦しめる孤独、心をリフレッシュさせる孤独、死の孤独、逃避としての孤独、広場や群集のなかの孤独、罰としての孤独など。

なかでも「創造の源としての孤独」は、孤独を肯定的に捉えたものです。
これは多くの人が実体験を通して理解できるのではないかと思います。

孤独を賞賛する言葉

ゲーテは『ファウスト』で「孤独に帰れ──そこでお前の世界を生み出すのだ」と記し、スタンダールは『恋愛論』で「人はあらゆるものを孤独のなかで得ることができる」と記し、ポール・オースターは『孤独の発明』で「孤独が人間の全能力を引き出す」と記しています。

このように孤独を賞賛する言葉はたくさんあります。

孤独な状況の中で、孤独から逃れるために、思いもよらぬ能力を発揮する人がいます。

孤独な状況を打開するありえへん方法

私が通った高校は、大阪市内のとても辺鄙(へんぴ)な場所にある学校でした。
そのため、同じ中学の友達が一人もいない「ひとりぼっちの孤独」を味わいました。

高校1年生の1学期のはじめ頃、休み時間のクラスは静まり返っていました。
クラスメイトの多くが、私と同じように「ひとりぼっち」でした。

今では誰とでも気さくに話すことのできる大人になりましたが、当時は「こんな状態が3年続いたらどうしよう」「自分に耐えられるのだろうか」「耐えるしかないか」と、気が滅入りそうになっていました。

そんなある日、クラスメイトの永田君という男の子が、ありえへん方法で状況を打開するために動き出しました。

いつものように喋り声も笑い声も聞こえない静まり返った昼休みの教室。
私はクラス全体が見渡せる窓側の自分の席で本を読んでいました。
すると、廊下側の1番前の席に座っていたクラスメイトに話しかける永田君の声が聞こえてきました。

「昨日何してた?」

永田君はそのクライスメイトと2、3回、言葉のキャッチボールをしました。
それは時間にして15秒から30秒です。

静まり返る教室で、2人の会話ははっきりと聞こえました。
クラスメイトは皆、私と同じように「永田君とあの子の間には、喋るきっかけとなるのような出来事があったのだろうな」「いいなぁ、話し相手がいて」と、羨ましく感じていたと思います。

すると永田君は、その次に、廊下側の前から2番目の席に座っているクラスメイトにも話しかけました。

「昨日何してた?」

永田君はそのクライスメイトとも2、3回、言葉のキャッチボールをしました。

クラスメイトは皆、「前から2番目のあの子も、永田君との間で何かがあったのだろうな」と感じていたと思います。

すると永田君は、その次に、廊下側の前から3番目の席に座っているクラスメイトにも話しかけました。

「昨日何してた?」

その瞬間、私を含むすべてのクラスメイトが「明らかに不自然だ。彼はこのクラスの全員に同じ質問をして回るつもりだ」と確信しました。

突然開始された永田君の『昨日何してたローラー作戦』の始まりに、クラスは騒めきました。

そして「自分にもあの質問が飛んでくる」と、急ピッチで回答を準備しながら「なんて奴だ」「なにが目的だ」「そうか、友達を作るためだ」「にしても、雑すぎる」と、永田君の姿を目で追いました。

しかし、永田君のことを目で追っても、彼は常に同じことしかしていないので、次第に彼が話しかける相手の方に焦点を当てるようになります。

その時の永田君は、テレビ番組やイベントなどで場を盛り上げる司会者のようでした。

無意識のうちに、主役は永田君の質問に答えるクラスメイトになっていて、「へぇ、昨日は、そんなことをしていたんだ」と、皆が聞き耳を立てて、どんな回答が出るのかを楽しみにしました。

永田君の『昨日何してたローラー作戦』は淡々と続きました。

その後、私も永田君に「昨日何してた?」と聞かれたわけですが、自分が何と答えたのかをはっきりと思い出せません。
40名ほどのクラスで、唯一覚えているのは、南君という男の子が回答した内容です。

永田君:昨日何してた?
南君:本屋でパチパチ・ロックンロールって雑誌を買って家で読んでた
永田君:それ好きなんや
南君:せやねん
永田君:へぇ〜仲良くしてな
南君:うん

私も南君と同じく、その雑誌が好きでした。
その日の放課後、私は南君に「俺もパチパチ好きやで」と声をかけ、それから高校生活3年間、ほとんど全ての時間を南君と過ごすことになりました(3年間バイト先も同じ)。

私はその日、自宅に帰ってから母親に「めっちゃ久しぶりに学校で笑い声を出した。喉がびっくりしてる」と報告しました。

4月は少しの勇気を出して質問をする季節

あれから月日が流れ、私は子供達が小・中・高・大と、入学や進級をするタイミング、クラス替えのある4月に、永田君のことを思い出します。

家族で食事する時、「友達はできた?」と聞き、微妙な反応を示す子供達に『昨日何してたローラー作戦』の話をすることが、毎年恒例の行事のようになっています。

「好きな映画は何?」「好きな漫画は何?」「好きな芸能人は誰?」「好きな食べ物は何?」「好きな場所はどこ?」「好きなゲームはある?」と、少しの勇気を出して質問するだけでいいんだよと伝えます。

クラスで寂しそうにしている子がいたら、「助けてあげたい」とか「力になってあげたい」とか、難しいことを考えずに、少しの勇気を出して質問するだけでいいんだよと伝えます。

そして私があの時、永田君に「昨日何してた?」と質問されたことがとても嬉しかったことと、今でも彼に対して心から感謝しているということを伝えます。

永田君はあの日を境にクラスの人気者になりました。
結果としてクラスの中の人と人を繋ぐ役割も果たしました。

『昨日何してたローラー作戦』が「孤独」によって創造されたものかどうかはわかりませんが、何よりも、それを実行した彼の「勇気」が素晴らしいのだと思います。

追伸

「学校教育にコーチングを導入したい」と夢を語るコーチがたくさんいます。

教職員や生徒がコーチングを学ぶことで、自分で考えて行動する子供が増えると言います。

私も大いに賛成ですが、コーチはコーチングを教える立場になるよりも、クラスの中に自然と溶け込んで、生徒と同じ目線でコーチングを活かすことのほうが、その効果が期待できるのではないかと想像します。

もし私が総理大臣だったら、まずは小学1年生の1学期、中学1年生の1学期、高校1年生の1学期、大学1年生の1学期に、プロのコーチを1クラスにつき一人、教育実習生のような感じで配置することを義務化し、初日から学校が楽しくて仕方ない場所になることを目指します。

子供達の孤独に悪魔がつけ入らないように、何事も未然に防ぐことが大事ではないかと思います。

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